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文の助茶屋(ぶんのすけぢゃや) 由緒

 今は昔 慶長の頃 京都東山にて 豊臣秀吉の奥方 北の政所が秀吉の菩提を弔うため 高台寺を建て高台院湖月尼となり 尼の好む酒として 白酒と共に 女人の好む処 殿中より尼酒が甘酒になり看板も『お多福』になったと伝えられていました。

 『文の助茶屋』は 秀吉の守本尊 三面大黒天の茶所にて 明治中期に活躍した人情ばなしの上方の落語家 曽呂利新左衛門の門弟 二代目桂文之助が その境内に永年愛用した扇子を納めた扇塚を建てたのが所以で、明治43年頃に茶処を継承し「甘酒茶屋」を始め 高座引退後を風流三昧に その晩年を送りました。 その後、甘酒茶屋も二代目人呼びで 『文の助茶屋』とし 八坂神社から清水寺の東山界隈を散策する旅人や参拝者の疲れを癒すお休み処として賑わいました。

 故人(弊店初代、二代目文之助)の申し伝えにより『甘酒』と『京に田舎有り』『粋様参る無粋な店(すいさままいるぶすいなみせ)』を創業の心得として現在に至っております。また芝居の題材としても使われました。

 時代はかわり、スマートフォンやi-Padの便利な時代となりましたが、そこに息づく日本人の精神は、互いを思い合う心いきだと。落語家は楽しい話を聴衆に提供し、聴衆は噺家の話を体で聞き、笑い泣き感動する。その聴衆に感動し噺家は修業を積む。『粋様参る無粋な店(すいさままいるぶすいなみせ)』。粋なお客様は、無粋な店(店員)を育てて下さる、互いの心が通いあう時、互いに発展、道が開け、素晴らしい世界がつくりだされる。そのように、創業の精神と捉え、『お客様から愛される商品つくりとともに皆様の幸せに貢献』できるよう1歩づつ歩んで参ります。

『二代目桂文之助』から創業の精神のこと

 二代目桂文之助は、安政5年(1859年)に大阪新町辺り(現在の大阪市西区)で米問屋を営む家に生まれ、幼少の頃近くの寺子屋に通い、後に活躍する初代中村鴈治郎さんとも一緒に学んでいたと聞き伝えられる。18歳の頃、噺家を目指し初代桂小團治師匠に弟子入りしたのを始め噺家としての修業を積み、上方(大阪)で活躍していたが、曽呂利新左衛門師匠に弟子入りした後、明治33年(1900年)6月14日に二代目桂文團治師匠から二代目桂文之助名を拝名、襲名する。縁あって京都の四条寺町界隈で寄席をもつうちに、京都に住むようになり京都の街もこよなく愛するようになる。

 酒や賭博には一切手をつけず、実直な性格であり、店の座布団の配置が整っていないとすごく叱られたと聞く。そのように曲がった事が嫌いであり真面目な一面もあったが、落語では頭の回転の速さを活かし、聴衆の心をつかむ寄席を得意とし、古来の古典落語のよさを活かしつつ多くの新作を発案演じたと聞き伝えられる。しかし乍ら、大正時代に近づく晩年の頃、世の落語界は自身の目指していた古典落語とは違う漫才やその他の興行に圧倒されつつあり、古来の上方落語の行方に対し懸念をしていた。

 同じ頃、京都の街なみはレンガ造りやコンクリート造りの建物が増え、今までの町屋木造の建物が次々と壊されるのを見て自身の時代は変わっていくのを予期する。しかし自身の目指す落語も古き伝統を守るとともにこの京都の街も古き良き京都、精神的な部分を残さねばとの思いから、『京に田舎有り』と、町は時代とともに変わりゆくが、時代が変わろうとも変えないところ、1軒でもいいからいつ来ても変わらぬ店を残すことは、必ず私達町衆にとり将来よりどころとなると確信する。

 変えるべきところと変えないところ、それは私達町衆に息づく心意気、これからもその精神を大切に創業の精神として受け継いで参ります。

京甘味 文の助茶屋 概要

京甘味 文の助茶屋 概要
店名 京甘味 文の助茶屋│粋様参る無粋な店
本社 〒605-0827
京都府京都市東山区下河原通東入八坂上町373
会社名 京甘味 文の助茶屋
電話番号 075-593-0588
FAX番号 075-593-7047
メールアドレス info@bunnosuke.jp

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